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怒りを直接伝えられない人が多いワケ

 

心の中で怒る人はたくさんいます。むしろ心の中で怒らない人は、いないのではないでしょうか。しかしそんな心の中の怒りを、発信する人は少なくなりました。

 

仮に発信をしていたとしても、本来の怒りを言うべき所にではなく、全くの関係のないところで、また怒りを別物に変えて、発信をしている人が増えているのです。

 

怒りを直接伝える事が出来ない人が増えているのは、一体なぜなのでしょうか。

 

 

怒りは低レベルなもの?

多くの人は怒りに対してのイメージを「低レベルの感情表現」という見方で見ています。

 

怒りは本来、自分が譲れない一線を守るという「誇り」から生まれてくるものであり、自尊心が無ければ怒りも生まれてきません。ですから正当な怒りは低レベルな感情どころか、むしろ高い感情であるはずなのです。

 

しかし怒りを「低レベル」と見てしまうのには、「喜ぶ」や「悲しむ」といった感情と比べれば、「怒る」というのは、頭の悪そうな態度を取っているようにみえるからです。また悲しみを揶揄する人はいませんが、怒っている人を面白おかしく揶揄する事はありますよね。

 

このイメージが「怒りは低レベル」という事をさらに助長し、怒りを出す事を躊躇している事に繋がっているのです。怒る事は恥ずかしいというのは、「現代の闇」ともいえる間違った思想です。

 

怒る事で少数派と思われたくない

今の世の中は、「怒らない人こそできた人間」という形式を強く刷り込まれています。だから怒る人は「少数派」であり「変わった人」というイメージが強くあります。怒っている人を「趣味も楽しみもない、仲間もいない、人生不満だらけ、不幸な人、だから怒ってばかりいるんだ」と、このように見ている人は多いのではないでしょうか。

 

実際、怒るというだけでマイナスイメージがありますし、怒る表現が下手な人は、八つ当たり的に怒りをぶちまけている事もあるので、そう思われても仕方のない部分もあります。でも「怒る人全てが対象」と見るのはあまりに乱暴です。

 

しかし「怒る事は恥ずかしい事」という認識はどんどん強まり、たとえ不満はあっても表には出さず、「自分は趣味もあるし楽しみもあるし、仲間もいるし恵まれている。だから怒る理由はない」と、一生懸命こじつけて大多数派の方に自分を置こうとするのです。

 

これでは「怒る人」はますます孤立し、本当は怒りたいのに怒れない人も、ますます表に出てこれなくなります。まさにストレスだらけの社会なのです。

 

 

目の前の怒るべき事を怒らない

「怒る事はみっともない」「怒らない人は立派」という風潮なのに、ネットの世界では逆を進んでいます。むしろ文句を言ったり怒ったりという人、正義を振りかざす人が増えています。また領土問題や近隣諸国との問題、はたまた政治など、普段は全く関心を示さないのに、ここぞとばかりに騒ぐ人も増えました。

 

このような人達が増えている背景には、現実世界で「目の前の怒るべき事を怒れない人達」が、ネットの秘匿性を利用して抱え込んでいるストレスをぶちまけているからです。

 

普段から自分の感情に誤魔化さずに生きているならば、このような現象は起こらないのではないかと思います。

 

ネットで匿名で怒る・文句を言うというのは責任がありません。だから安易で簡単です。でもこのようなやり方は決して正しいとは言えません。むしろ誰もが思われたくないであろう「みっともない怒り方」をしているにすぎないのです。

 

怒らないと何も変わらない

怒るという事は面倒な事です。また怒る事で責任がつきます。怒る事で問題解決に乗り出す事になったり、決着をつけねばいけないことも出てきます。こういった事が面倒で怒らないという人も意外に多いのです。

 

怒ることは勇気もいるし、エネルギーも使います。また行動力も必要な時があります。これを面倒と思った時、「怒ってもしょうがない」と自分をなだめる方に進むのです。

 

実際、怒りを諦めれば、何も起こらないので楽です。でも諦めるという事はその分、「自分にたくさんのストレスを与えている」という事を忘れてはいけません。

 


 

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